オホーツクから脱出!!旅ゆけば - 川嶋純 旅のコラム
   
第6話 「和ろうそく」の古川町編 写真

 散策路


 岐阜県飛騨高山駅から飛騨上枝、飛騨国府と「飛騨」づくしを経て、飛騨古川町まで来た。
 土蔵が連なる傍らを流れる小さな瀬戸川が、四百年前の昔から生活用水として飛騨古川町を潤してきた。この土蔵と瀬戸川の流れ沿いが、古川随一の散策名所である。
 上下半分ずつ白と黒に分けられた土蔵の壁、そのコントラストが流れに映えて美しい。
 軒の真下を流れる瀬戸川は、二メートルくらいの幅で、流れが急だ。そのため無数に泳いでいる色とりどりの鯉が、流されまいとして

上流に向い、絶えず尾ヒレをあやつりながら体のバランスを保っている。こんなに休みなく動いてばかりいると、疲れてしまうのではないかと、鯉に対して大いに同情をしてしまった。
 土蔵の対岸が散策路で、そこには柳が数本立っているだけであまり人影も無く、ひっそりと落ち着いた雰囲気をただよわせている。夏の早朝や、夕方の散歩道としてはもってこいのいい所だ。



和ろうそくの三嶋屋


 飛騨地方は、技能にすぐれた人々を生む風土でもあるのか、大工、彫刻に多くの名工を輩出してきた。有名な左甚五郎は、この飛騨の生まれだ、ともいう伝説もある。
 古川町では、大工ではなく、すぐれた技術で「和ろうそく」を作っている「三嶋屋」を訪ねてみた。
 最近、全国的に知られるようになったものに「三嶋屋」で作られる「和ろうそく」と、その技術を継承する重要無形文化財保持者 三嶋武雄さんがいる。いわば飛騨の匠といわれる人だ。
 中国から伝わったといわれるこの技術を、江戸時代から二百年にわたり守り続けてきた。その六代目が三嶋さんである。
 作家司馬遼太郎の「街道を行く」でテレビ出演したり、雑誌に写真が掲載されたり、種々のメディアを通して紹介され、広く知られるようになった。
 店に入ると、表面に大小様々な、ろうそくが並べられ、竹村健一氏など有名人の色紙が多く壁に掲げられている。
 左側が二人で作業をするようになっている仕事場で、五十なかばの人が、一人ろうそくを作っている最中だった。
 この人は三嶋さんの長男順二さんという人だった。
「いらっしゃいませ、どうぞユックリ見ていって下さい」
 三嶋さんらしい人が居ないので、
「テレビによく出る人は居ませんね」
「はい、あれは親父なんですが、トシで余り仕事をしていないんですよ。テレビやマスコミの取材の時にだけ出て来るんです。もう八十七ですからね、今は、私がほとんど一人でやっているんですよ」
 箸のように細い、五十センチほどの四本の棒を、各々が接触しないように、指の間にはさんで器用に動かし、溶かしてある蝋を塗って少しずつ太くして、ろうそくを作っていく。それを何遍もくり返しながら、作り方の説明をしてくれた。
 写真を撮らせていただいてよろしいですか、と言うと、
「どうぞ、どうぞ、それでは赤いろうそくの方がいいでしょう。赤の方が写真の色が映えるでしょうから」
 そう言いながら赤い蝋を溶かしてある器の方へ体の向きを変え、また作業を続けた。
 写真を撮り終えてから、しばらくの間、話を聞かせてもらった。

 赤いろうそくは、めでたい時、お彼岸、報恩講、五十五回忌以上の法要には使ったほうが良いとか、京都の東本願寺に納入しているとか、白い蝋の原料となる「ハゼの実」が国内では少なくなり、中国から多くを輸入している、という。言われてみると、国産の物はグレーがかっているが、中国産は真っ白く澄んだ綺麗な色をしていた。
 主は、後から来た客のために、また説明をはじめた。
 テープ・レコーダーを回しているように、先ほど話しくれたことと同じことを、同じ順序で語りだした。  NHK朝の連続ドラマ「さくら」の中での、ろうそくを作る老人のモデルは三嶋武雄さんである。ドラマが放映された時には、六代目はこの世にはなく、子息が七代目を継いだころだった。

 
   
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