オホーツクから脱出!!旅ゆけば - 川嶋純 旅のコラム
   
第7話 源平合戦の壇ノ浦編 写真

壇ノ浦まで


 新下関駅から下関へ向かう途中で、タクシーの運転手に、壇之浦は大分遠いのかと聞いたら、
「近くですよ、ついでに寄りましょうか?」
と言うのでそのまま壇之浦へ向かった。
  壇之浦はその昔、源平合戦最後の戦場だときく。
「兵どもが夢のあと」らしいものが何かはあるだろう、と思っていた。行って見みると海があるだけだった。
  もっとも、戦場が海上であっては戦いの場も水泡に帰するのが当

たり前といえば当たり前の話だ。二位の尼や、名のある武将の墓、七盛塚へ行くと、そんなことも、あったのかと実感がわいてくるのだが、大きな貨物船が頻繁に往来しているこの海で、義経の八艘飛びや、八歳の安徳天皇が祖母に抱かれ入水したなど、そんな修羅場あった所だとはまったく想えない。
  壇之浦の向こう岸は、九州の門司市だろう。その距離、最短で八百メートルという。本州から九州は意外にも近かった。見上げると大きな橋が山の頂上から対岸に架かっている。これが関門橋だろう。
「あの橋は歩いて渡れるんですか?」
「時々、あの橋から飛び込む者がいるので、歩行は禁止されています。車しか通しません。橋の上からは厳流島が見えますよ」


遅い日の出


 夕方、五時頃風呂で汗を流した。十月末ともなると、いかに本州最南端の下関とえども、夜は、室内でも浴衣一枚では結構寒い。こんな時には北海道では暖房があるからありがたいものだと、しみじみ感じた。
 ちょっと仮眠をとってから、夜の街を散策しようと思ってベットへ潜り込んだら、そのまま朝まで眠ってしまった。
 翌朝、六時に目が醒めた。まだ真っ暗だ。北海道ではもう明るくなっているはずだ。やはりここまで来ると、日の出の遅いのがハッキリとわかる。この旅に出る二週間前、北見では午後五時半には車が点灯して走っていたが、昨日ここで走っていた車は六時でも点灯していなかった。時間にして四十分位の差があるようだ。


和布刈(めかり)公園


 関門橋を渡って門司まで行くことにした。薄明るくなるのを待ってタクシーに乗った。七時に少し前だった。
 たかだか、一キロメートルの橋、車代が二千円もあれば往復出来るだろうと考えていたのだが、実際にはその何倍もかかった。直ぐ上に橋は見えるものの、その橋が架かっている山の登り口まではかなりの距離があって、橋のたもとに着いたときには、料金メーターが千六百円を差していた。田舎者には気が付かなかったが、さらに渡橋料もかかった。
 関門橋は渡ってみると随分大きい。
 「あれが厳流島です」
  聞きもしないのに運転手が、また厳流島を教えてくれた、他にも島がたくさんあるので、その島がどこなのか見分けがつかない。旅行中に富士山が見えると、アレが富士山です。と教えてくれる人がよくいるが、同じように下関では、誰もが厳流島を教えてくれるようだ。
 門司に着いてから和布刈(めかり)神社へ向かったが、こちらも山の周囲をグルグル廻りながら登った。そこ境内は公園になっていて、長さ四十四メートル高さ三メートルの巨大な壁画がある。義経の八艘飛びなど源平合戦を描いた「壇之浦合戦絵巻」というべき壁画である。これは有田焼の陶板を千四百枚もつなぎ合わせて造ったもので、さすがにこれを見ると「壇之浦の戦い」はこの地だと思い知らされる。
 門司市街も下関もよく見わたせる。だが厳流島の在かは依然としてわからない。
 帰りは海底トンネルを通った。ここでも料金を取られた。海底トンネルは三本あるらしく、新幹線、在来線と自そして自動車専用。この車専用道路は二階建てで、上は歩行者道になっている。

   
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 忠臣蔵の赤穂編(2)

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 「和ろうそく」の古川町編

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